友達が少ない人は、アホだと思うね
メガりゅう語録
人生は孤独なのか。
どうしたんですか、急に。。
友達とは。。人生とは。。
そんなことより、受験勉強やってください。
目次でしょうに
人生が孤独だと感じるとき
始めに言っておくが、私は友達が多いほうだと思う。というより、私は一人で行動できないタイプなので、毎日一回は友達とお喋りをする。一人で過ごす日というのは基本的に存在しない。
友達が多いというのは、良いことですね。
しかし、そんな私でも、人生が孤独だと感じる時がある。
例えば、好きな人ができたとき。デートに誘ったり、告白したりというのは、友達と一緒に行うことはできない。たった一人で相手に立ち向かうのだ。
他にも、仕事を探すとき。家庭教師のアルバイトを、求人広告を見ながら友達と選んでいたが、いざ実際に面接を受けに行くとなると一人で受けに行かなくてはならない。
受験や進学も同様だ。友達と受験勉強をすることはあるが、試験を受けに行くのはそれぞれが一人で行く。私の場合、家から離れた横浜国大に進学したため、はじめは友達はゼロの状態で入学した。
灘高校のような進学校はクラス単位で東大に進学するから羨ましいと感じたね
孤独とは、中央本線の高尾~大月間でトンネルに入ったときにスマートフォンの通信が一時的に遮断されるようなものだ。(ニッチな喩えで申し訳ない。広く理解されるには、スマートフォンの通信制限で全く動かなくなってしまった時を想像してほしい)
普段は周りにいる友人は、人生の「いざ」というときは一緒にいない。一人で立ち向かわなくてはならない。
これが、人生は孤独だと考える所以である。
昔を思い返すと…
小学校時代や中学校時代を振り返ってみよう。
小中学校では、登校すれば周りに友達が必ずいた。ただ学校に行くだけで回りに友達がいる。
私は中学受験を行わなかった。小学校時代は毎日、友達と遊ぶことに専念した。
友達と遊んでいると、様々な発見がある。「リビング」といっても各家庭で全然違う。ソファーの前にテレビを置く家庭もあれば、コタツがありリビングにはテレビを置かない家庭もある。他にも好きなゲームの違いや服装の違いなど、人と接することで様々な情報を得てきた。
友達と接することで、新たな情報を得てきた。周囲の人と交わることで、安心感を得ていた。「人間は社会的動物である」が故にそれが自然なのだと思う。
自己と他者の関わり、というテーマは大学受験の現代文でも頻出だね。
「他者からの影響を受けることで、自己(アイデンティティ)が形成される」という文章を読んだことはあるかな?
小学校や中学校においての最大のイベントは「卒業式」だ。
卒業式は、学年全員で門出を祝う。「学年全員で」というところが重要だ。義務教育である以上、全員が同じタイミングで卒業する。友達と遊んだ思い出や皆で勉強した経験を思い返し、悲しい気持ちになるだろう。しかし、それは隣にいる人も同じだ。だから、悲しい気持ちになれば近くの人と励まし合うことができる。
その後の人生
後攻は義務教育ではないが、大半の人が同時に卒業する。大学でも単位が足らずに留年する人は稀だろう。
歳を重ねるにつれて、人生の重要なタイミングを一人で経験しなくてはならない。
「東京理科大学に入学したかったが受験で失敗してしまった」という悲しみは、残念ながら隣の人にとっては他人事だ。「それは大変でしたね。次がありますよ。」と返されるだけだろう。
次のページで遂に結論!!「2ページ目にGo To!!」
「Go To」って某政権の政策じゃないですか…
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