目次でしょうに
はじめに~学歴コンプレックスについて知ってもらいたくてこの記事を書きました
学歴コンプレックスって?
「学歴コンプレックス」というのはいくつかパターンがあります
- 受験で第一志望に落ちて第二志望以下の大学に入学したことを後悔すること
- 受験で第一志望に入学するも、よりレベルの高い大学に対して負い目を感じること
日本の受験制度では「偏差値」というランキング分けで大学の価値が決まります。明治大学はおおよそ偏差値60くらい。一方の慶應義塾大学は偏差値65。これりより明治大学よりも慶應義塾大学のほうが入学難易度が高いと判断されます。
この偏差値(入学難易度)を「大学の価値」とみなすことで、学歴コンプレックスが生じます。
オウム麻原の生い立ち、知ってますか?
オウム真理教の麻原彰晃(元死刑囚)のことは日本人なら誰しも知っていると思います。
あの「地下鉄サリン事件」の実行犯です。地下鉄サリン事件では、地下鉄にサリンを撒き、乗客を無差別に大量殺害しました。
地下鉄サリン事件は、とても許されるものではありません。
今回のテーマは「地下鉄サリン事件」ではなく「学歴コンプレックス」。麻原彰晃の生い立ちって知ってるかな?
その前に、学歴コンプレックスの私の自己紹介
私自身も学歴コンプレックスを抱いているよ
私は、東大に行きたくて受験勉強をしていた。しかし、浪人しても合格することはできず。結局、横浜国大、慶應と大学を転々とすることになってしまった。
早速、麻原彰晃氏の生い立ちを見てみよう。
オウム麻原の生い立ちから見る学歴コンプレックス
オウム麻原の幼少期
麻原氏は、熊本県で畳職人の家に生まれる。
麻原氏は、視覚障害を持っていたよ。
麻原氏は先天性緑内障により視覚障害を持っていた。左目がほとんど見えず、右目が視力1.0であった。全盲ではないことに注目していただきたい。
その後、6歳で盲学校に入学する。そこの寄宿舎で生活することになるのだ。
麻原氏は、全盲ではない。だから、盲学校に入学することを嫌がったという。その後、両親と会うことはなくなってしまった。
盲学校では、全盲の子どもを助けてあげる優しさも。
盲学校に入学した麻原氏は、全盲でなかったため他の子どもの手助けをしてあげた。遠足の際は、見えない子どもの手を引いてあげるなどした。
しかし、時に権力欲を抱くこともあったという。他の子どもよりも目が見えるだけ有利な立場にあったからだろう。
オウム麻原の受験時代
盲学校時代は「自分と同じく病気で困っている人の助けがしたい」ということで熊本大学医学部を目指す。しかし、当時は視覚障碍者は医師免許を取得することができず、断念。
そして、東大文科一類(法学系)を目指すようになる。
「東大法学部を卒業し自民党に入り政治家となり内閣総理大臣になりたい」と考えた麻原氏は、東京大学教養学部文科一類(法学系)の受験を決意する。
しかし、18歳(現役)、19歳(一浪)、20歳(二浪)、21歳(三浪)ではどうも東大受験は行わなかったようだ。
その後22歳(4浪)になり、東大受験のために上京、渋谷にある代々木ゼミナールに入学した。
しかし、東大文科一類に入学することはできず。
その後の麻原氏は、鍼灸免許を持っていたため鍼灸院を開業した。
鍼灸では病気を完治させることはできない、と悩み続けた麻原氏は、ここで宗教に進んだらしい。
※麻原氏の生い立ちについては、下記を参考とした。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BA%BB%E5%8E%9F%E5%BD%B0%E6%99%83
自分自身の視覚障害の経験から弱者を救いたいと考えたのだろうね。
その後の麻原氏
弱者を救いたいという気持ちから政治家になるために東大文科一類を受験し失敗、またその後、「心理党」から衆議院議員選挙に立候補するも落選。そして地下鉄サリン事件に進んでいく。
私は、麻原氏の死刑が執行されたときは非常に残念だった。もちろん私はオウムには一切関与していない。きっと麻原氏も語りたかったことがあるだろう。きっとつらかったのだろう。社会から救いの手を差し伸べてほしかったのだろう。
死刑ではなく、生きて罪を償ってほしかった。説明責任を果たしてほしかった。
学歴コンプレックスは社会問題
もしも麻原氏が東大に入学していれば…
4浪の受験に失敗した麻原氏。もしも東大に合格していたら、もしかすると地下鉄サリン事件は起きていなかったかもしれない。
両親と分かれ、医師にもなれず、4浪で東大文科一類にも入れず、政治家にもなれなかった。
私も東大受験は行っていた経験があるため、東大受験の大変さや、落ちたときの辛さはしっかりと感じている。
せめて、東大の学歴さえあれば…。と思う。残念ながら現在の大学は就職のために入学するという人が多い。しかし、就職ではなく勉強など別の理由で入学する人にも門戸を開いてくれればなと思う。
学歴コンプレックスを社会でもっと考えてほしい
繰り返すが地下鉄サリン事件は許されることではない。しかし、あの事件を麻原氏個人のせいにして終わらせるのもどうかと思う。
受験で失敗した人の救済策を社会でもっと考えるべきだと思う。
受験で失敗た人はどれだけ辛い思いをするか、もっと社会で考えてほしい。
現状として、救済策は次のものがある。
- 中期や後期で別の国公立大学に入学する(横浜国大や筑波大、国際教養大など)
- 慶應か早稲田大学に入学する
- 東大院に行く
どれを取っても、学歴コンプレックスを完全に拭い去ることはできません。
何か提案はありますか
「編入」をもっと広げてほしい
東大にも編入(学士編入。4年制大学を卒業した者(見込み含む)が学部3年に入学すること)は存在する。しかし、その合格者はほとんどいない。他学士(東大卒以外の人)から学士編入で東大に入学できる人は数人しかいません。(それなら東大院に行くよって人がほとんどだと思うが…)
例えば、「他大学2年→東大3年」のように編入の幅を広げてほしいと思う。
「学歴ロンダリングだ」と批判する人がいるかもしれない。しかし、編入なら履歴書に次のように書く。
- 東京理科大学 中退
- 東京大学 文学部 入学
- 東京大学 文学部 卒業見込み
これなら、他者から見れば「この人は編入したんだ」とひと目でわかる。本人としても、受験には失敗したけどこれで慰めにはなる、と考えるだろう。
就職活動で学歴をアピールしたいなら一般受験で。学歴コンプレックスの癒しがしたい、ないし東大で勉強したいだけなら編入で、と救済措置があればいいと思う。
ちなみに、イギリスにはMOOC(ムーク)という制度もある。日本でいうところの「科目等履修生」である。その大学に入学するのではなく、受けたい授業だけを選んで受講し単位を取得するものだ。もちろん、証明書も発行してもらえる。
日本では「大学で何を学んだか」ではなく「どの大学に入学したか」に力点が置かれているため、あまりこの制度は活用できないと思う。
最後に一言!!
「学問を通じて人生の充実」をキャッチフレーズにするメガりゅう予備校。
学問は本来、人の人生を充実させるものである。