小学校って行く意味あるの?|楽しかった黄金時代

小学校は楽しい

人生は不可逆変化だ

メガりゅう語録

はじめに

数年前に「〇〇ぼん」という小学生YouTuberが話題になっていた。その人曰く、学校に通う人間はロボットのようであり学校に通う必要はない、人生は冒険だ、と。確かに小学校に通うと他のクラスメイトと同じように授業を受け先生の話を聞き、協調性を否応なく身に付けさせられる。このことを「苦痛だ」「ロボットだ」とみなすことには一定の理解ができる。

しかし私の見解は「小学校には行くべき。中学校には必ずしも行く必要はない。しかし勉強は自身の責任で継続すべき」というものだ。

私が本記事を執筆しようと思ったきっかけは上記のYouTube動画を見たことだ。時代は変化しているのに、教育現場はほとんど変化していない、そのため古い大人から学べることはないと思い学校へ通わないことを決意。しかし小学校時代は「小学生YouTuber」として活躍できるも、中学に入学するとオリジナル性が減り(小学生ではなくなるという点と、他の人がマネをしだすという点)チャンネル再生回数も激減、結局20歳になって通信制の学校でやり直すという架空のストーリーだ。

「小中学校に通う必要はあるか」という議論はよく行われている。私は小学校教育の専門家ではないため、専門的知見から考察をすることは困難だが、私の小中学校時代の体験や、20歳になった現在の立場から見て、小中学校に通う必要はあるかどうかについて考察を行いたい。

小中学校に通って得られたこと

小学校時代の思い出に関しては、自分史としてブログ執筆しているのでそちらを参照してほしい。

小中学校のまとめ

小学校に通って得られたことは次の通りだ。

  • 小学校教育の中で得られる学力
  • 友達との付き合い方
  • 思い出

これだけ!?と思うかもしれないが、貴重な小学校時代だった。

小学校に通って学力は身に付いた。これは授業を受けていれば当然のことだが、大きなスキルアップだ。文字を読み書きし、計算方法を習得する。これらのスキルは大人になっても必要なものであり、小学校に通う大きなメリットだと考えている。

そして、友達付き合いの方法も小学校に通うことで習得した。こればかりは小学校に通って実際に友達と接しないと得られるものではない。

思い出。そんなもの必要ない、と考える人もいるかもしれない。しかし小学校時代の思い出は小学校時代でしか作れない。小学校時代の思い出がないというのは、悲しい人生になるだろうなと考える。人間は感情を伴う生き物だ。どんなに「感性を抑え理性に基づき行動するべきだ」と主張する人間であっても、その限界が現れる。


中学校で得られたことはほとんどない。中学校は、周囲が思春期の真っ盛り。荒い人も増え、それに悩まされる。そのような苦難に立ち向かうスキルは身に付くかもしれないが、中学校に通うメリットは少ないように思われる。今思えば、中学時代は学校に行かなければよかったと後悔している。

考察~質疑応答(小学校不要派からの意見)

しかしながら、学校に行く必要はないと考える人もいるだろう。そのような人の意見を踏まえ質疑応答を行う。

小学校で得られる学習内容は、独学で身に付けられるのではないか。

確かにそのような可能性は存在する。民間の通信教材は発展している。しかし、現実的にすべての小学生が達成できるかというと、明らかに困難だ。分数の概念、整数の概念など、理解が難しいものは多い。小学生が自力で理解するのは難しいだろう。独学で行うと、「12と15の最大公約数は?」などを暗記的に解答するのが精いっぱいだろう。小学生の間は、先生の下で勉強を行ったほうが効率的だと考える。

学力を身に付ける必要はないと思う。

確かに最小公倍数や最大公約数など、学問の世界に入らない人間にとっては不要なものも多い。勉強ではなく、YouTubeやミュージシャンとして生きていくんだ、と考えている人にとって勉強は不要かもしれない。しかし、どの人にとっても勉強し学力を身に付けるメリットはあると考える。YouTubeをやるにしろ、話題を見つけるのに学力があったほうが見つけやすい。例えば現在2020年1月はアメリカとイランの関係が悪化している。では冷戦時代のアメリカ・イラン関係はいかなるものであったか、なぜイラクはもっと昔にアメリカとの戦争で敗北したのに、イランは現在まで戦争がないのか、などは勉強して基本的知識を身に付けないとなかなか考察しようとは思わない。単に訳文の方法を身に付けても役には立たないかもしれないが、勉強は深く理解することで味が出てくる。(理解のためには、まずは暗記が必要だ。小学生時代にやっておこう。)

小学校に通わないほうが勉強以外のことに時間を割けるので有意義だと思う。

確かに小学校に通いながらYouTubeを投稿するのはきついだろう。だったら小学校に通わずにYouTubeを投稿しそこから経験を得ようとする人もいるかもしれない。しかし、上記の動画でもあったように、時代のトレンドは移り変わるもの。小学生が長期的視点で考察するのは困難だ。今はよくても、いずれはトレンドが変わってしまっているかもしれない。小学生がそこまでリスキーな人生の選択をする必要はない。面白いことに、勉強はトレンドがほとんど変化しない。「読み・書き・そろばん」は方法は変化しているとはいえ江戸時代からずっと存在する。受験制度はほとんど変化しない。学歴社会は今後も続くであろう。小学校に通い勉強するということは自然と「中小期視点」で行動しているのだ。

小学校は楽しい
小学校で友達を作るのは楽しい

考察~なぜ小学校は必要で、中学校は不要か

小学生時代は、まだまだ幼い。自分で主体的に行動することを求められても現実的に困難だ。だからこそ、勉強するには先生が必要であり、人間関係を築くにも先生のサポートが必要だ。時代は変化しているとはいえ、勉強の方法や人間関係の築き方は今も昔も変わらない。それを大人から学ぶというのは意義深い。小学生はまだまだ時間がたっぷりある。YouTubeの投稿など実践的なことをするのは、まだ先でいいと思う。

中学生が子どもか大人かというのは微妙なところではあるが、少なくとも小学校である程度の勉強は身に付き、人間関係の構築方法も経験してきた。それを実践で用いるということは意義深いだろう。学校に行き友達を作るのもいい、学校には行かずに自分の専門分野で活躍してもいい。学校で勉強するよりも自分でやったほうが効率が良いということに気づいたら試しにやってみる。幸いにも中学は義務教育だ。学校に通わなくても卒業資格は得られる。

ただし条件が2つある。第一に、大人も見守りが必要だ。中学生はまだ完全な大人ではない。もしも大人から見て方針が誤っていたらしっかりと教育すべっきである。そして第二に、勉強は行うこと。フリーランスであっても中卒で社会人になることは非現実だ。やはり大卒資格は必要。自分で環境を整え勉強することは大切だ。

まとめ~これからの小中学生のあるべき姿

私は「不登校」という言葉が嫌いだ。ここに来るまで一回も使わなかった。「不登校」という言葉が「学校に通わない子どもたち」をいかに苦しめているか。「不登校YouTuber」はかなりレアケースであり、ほとんどの「不登校者」は自分が不登校であるということに苦しめられる。すなわち、本当は学校に行きたいけれどもクラスメイトと仲良くできない。しかし学校に行かないと「不登校」というマイナスイメージを持たれてしまう。一体全体、どうすればよいのだろうか、と。

「時代は変化しているのに、教育現場はほとんど変化していない」と問題提議するのは、もっともなことだ。学校に通学し黒板とノートを用いて一律に勉強することの非効率性はある。

例えば、学校に行かない/行けない子どものために、公立の通信制学校を作るのはどうか。勉強はインターネット上で効率的に行い、カウンセリングで学校に通う。インターネットが発達した現代では技術的には可能だろう。高校なら通信制の公立学校は多く存在する。しかし、まだあまり普及はしていない。インターネットが普及しているのに、なぜあまり公立の通信制高校は普及しないのか。「世間の目」は「不登校」に厳しい。「通級による指導」(通常学級に籍を置きながら必要に応じて特別支援教育を受けるという指導方式)は特別支援教育において既に行われており、それを通常の生徒に応用するのでもいい。「不登校」と呼ばれ社会から排除された子どもを、既存の学級に戻すのではなく、柔軟に救える環境を整えていってほしい。

もしもそのような制度が整えられるのなら。もしも中学時代に戻れるのなら。私は積極的に「不登校」を選択する。

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