冷戦とは、資本主義国と共産主義国の対立関係である【違います】

世界史は教養だ

メガりゅう語録

「冷戦とは、資本主義国と共産主義国の対立関係である。」と主張する人は、ハッキリ言って世界史は向いていません。

このように主張する人には、次のように質問してみましょう。

「共産主義ソビエト連邦は第一次世界大戦中に成立しましたが、なぜ第一次世界大戦後すぐに冷戦構造は成立しなかったのですか?」

「共産主義では国家を否定し世界革命を主張する考えがあります。『共産主義国』という語をどのように定義しますか?」

「中ソ国境紛争についてはどのように説明しますか?」


「冷戦」は、資本主義か社会主義かという経済体制を決める戦いではありません。もしそうであれば、ソビエト連邦が成立してすぐの「対ソ干渉戦争」はどうして「冷戦」に含まれないのでしょう。

確かに、第二次大戦後のスターリン時代のみを「冷戦時代」と定義するなら問題はほぼありません。しかし、一般に冷戦は「ヤルタからマルタ」というのが普通です。

あくまで、核兵器を保有している米国とソビエト連邦のどちらが第二次世界大戦後の国際秩序を主導するかという戦いです。

私は冷戦を次のように定義します。

「ヤルタ協定からマルタ協定までの、米国が主導する自由主義陣営と、ソビエト連邦が主導する共産主義陣営の核の均衡に基づく国際的な対立と協調関係。」

ちなみに、「共産主義国」という言葉は避けたほうがいいでしょう。「共産主義陣営」「共産圏」「社会主義国」と言い換えるべきです。また、経済体制について言及している訳ではないので「資本主義国」ではなく「自由主義国」という言葉を使用すべきです。


冷戦構造が成立した要因は次の通りだと考えています。

  1. ファシズム陣営が第二次世界大戦によって消滅した
  2. 第二次世界大戦後、ソビエト連邦が占領地域から撤退せず、社会主義の「衛星国家」を建設し駐留し続けた(「鉄のカーテン」)
  3. 核兵器を米ソが保有した

第一次世界大戦では連合国(自由主義国&社会主義国)VS枢軸国(ファシズム国家)が戦い連合国側が勝利しました。大戦後、自由主義国VS社会主義国の戦いが始まったわけです。

第一次世界大戦でソビエト連邦は「無併合、無賠償」を主張しました。つまりこの時ソビエト連邦の領域は拡大していません。それゆえ「冷戦」は起こりませんでした。しかし、第二次世界大戦後、スターリンは東欧に衛星国家を樹立、駐留し続けました。これにイギリスは危機感を覚え「鉄のカーテン演説」を行いました。(米国は大戦後、ヨーロッパから撤退しようとしたため)

共産主義は「理想」です。みんなが平等の社会を作る。貧しい人々にはウケがいいです。貧しいヨーロッパ諸国(特にギリシアとトルコ。地理的に重要な場所である)が共産化しソビエト連邦側に着いたらどうしよう。米国大統領トルーマンも焦りました。

米国だけでなくソビエト連邦も核を保有しています。これ以上、共産圏が拡大すると困る。しかし核戦争はできない(核の均衡)。そうしてできたのが冷戦構造です。

米ソは常に対立していた訳ではありません。協調関係にある時もありました。

第一回目がフルシチョフの時の「雪解け」。これはソビエト連邦が核開発の時間稼ぎにするため、わざと協調関係をアピールしました(当時米国は既に水素爆弾の開発に成功、ビキニ環礁の上空で爆破させた。このままでは勝てないと感じたソ連の指導者フルシチョフは表では優しい表情で、裏で核開発をした。これを理解してないと、なぜフルシチョフの時にキューバ危機が起こったのかが分からない。)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください