日本史は深みがあって面白い。
メガりゅうの言葉
日本史受験生へ問題です。日本史の中で天皇の皇位継承問題を思い付くだけどんどん書き出してください。
世界史受験生へ問題です。西洋史における国王の皇位継承問題で思い付くものはいくつありますか。
百年戦争、オーストリア継承戦争、スペイン継承戦争、イギリス革命…など世界史受験生はたくさん思い付いたことと思います。
日本史受験生はどうですか?
壬申の乱はすぐ思い付くでしょう。他は何かありますか?
- 崇徳天皇が蘇我氏に暗殺された(古代)
- 安徳天皇が入水した (中世)(「徳」が付く天皇は亡くなり方が悲惨です)
- 後水尾天皇が突然譲位した(近世)
あたりが思い付くかもしれませんが、古代を除き大きな皇位継承問題は起きません。
そもそも、古代から現代まで天皇家は途絶えることなく続いています。
これは一体、なぜなのでしょうか。
この理由の一つに、平安時代までに皇位継承システムが整ったことを上げることができます。
律令体制以前の皇位継承
壬申の乱…大海人皇子(弟)VS大友皇子(兄)
結局、弟が勝利し、天武天皇として即位します。
※私大受験生は大友皇子が『大日本史』にて「弘文天皇」と呼ばれることも覚えましょう
人間だれしも、自分の子供が可愛いです。天皇家も同じで、数ある天皇家の中でも、できれば自分の子供に天皇になってほしい、そう考えるものです。
だから古代は女帝が多い。推古天皇や皇極天皇、持統天皇が該当します。他にもいますね。
彼女らは、自分の子供が成人するまでの「時間稼ぎ」として天皇に即位します。
子供が成人したら子供に譲位します。
だが、女帝では不安定だ。皇位継承問題が起きてしまう。
どうすれば安定的に皇位継承ができるか、だんだんと進化します。
摂関政治~外戚関係に依存した皇位継承~(平安時代中期)
- 摂政:幼少の天皇の政務を代行する
- 関白:成人の天皇の政務を後見する
摂関政治がなぜ成功したか?そしてなぜ長く続かなかったか?東大入試でも頻出のテーマです。
ここで外せないキーワードが「外戚関係」です。
「外戚関係」を簡単に説明すると「セックス&セックス」です!!※記述入試では「外戚関係」と書いてくださいね…
藤原氏が天皇の娘とセックスをし、娘を産む(一回目のセックス)
そして産まれた娘が天皇とセックスをし男子を産む(二回目のセックス)
産まれた男子は天皇になります。
藤原氏としては、孫が天皇なので政治を牛耳ることができる(摂関政治)
天皇としては、藤原氏という権力によって安定的に皇位継承ができる
Win Winの関係になりました。これで皇位継承も安定します。
しかし、この政治は長続きしません。なぜでしょう。イメージしてみてください。
この政治体制(および外戚関係)を次世代に継承するには、一回目のセックスで女子を、二回目のセックスで男子を産まなくてはなりません。
都合よくは産まれないので、この体制はすぐに終わりを迎えます。藤原氏と外戚関係のない後三条天皇の登場とともに摂関政治は衰退します。(注:藤原家はその後も影響力を及ぼす)
院政と皇位継承~最終形態~
院政は簡単です。「父親がもと天皇」
古代を思い出すと、幼少の天皇では暗殺されてしましました。そのため平安時代中期は摂政を置いて幼少天皇の政務を代行した。しかし、摂関政治を成立させるには「外戚関係」を形成させなくてはならない。
そこで生まれたのが「院政」です。元天皇である父親が幼少天皇の政務を代行する。これで幼少天皇が即位しても問題なく、なおかつこの「院政」の関係は100%成立します。(天皇の親子関係なのだから当然です)
これで天皇家の皇位継承は安定した。この関係は、江戸時代の幕末まで続きます。
そして近代になると、天皇を中心とした近代国家が出来上がるのです。